ナニコレ珍百景|山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」場所は?歴史は?評判は?|11/10
今日放送のナニコレ珍百景にて山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」が紹介されます。
一体何なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「ナニコレ珍百景|山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」場所は?歴史は?評判は?」について紹介していきたいと思います。
ナニコレ珍百景|山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」場所は?
場所は〒999-8521 山形県飽海郡遊佐町吹浦西楯にあります。
観光の際に訪れてみてはいかがでしょうか?
ナニコレ珍百景|山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」の歴史は?
元治元年 (1864年)、近隣の吹浦海禅寺の21代寛海和尚は、仏教の隆盛と衆生の救済を願って、あるいは落命した漁師の供養と海上安全を願って、造佛を発願し、地元の石工を集めて指揮し、5年の歳月をかけて、明治元年 (1868年)に22体の磨崖仏を完成させた。寛海和尚は、造佛のための費用を工面するため、近隣在郷の協力のみならず酒田方面まで托鉢を行い資金を集めた。資金が1~2両集まるごとに石工に造佛を依頼していたため、磨崖仏は5年の間に順次造られていった。磨崖仏の完成を見た後、明治4年 (1871年)7月に寛海和尚は自身が守り仏になるため、羅漢岩の傍らの海に身を投じ、71年の生涯を閉じた[1]。
磨崖仏は、十六羅漢の像に、釈迦牟尼仏、文殊菩薩、普賢菩薩、観音菩薩、舎利佛、目連の6体を加えた22体ある。また、仏像ではないが、獅子の像も彫られている。全ての石像が海岸の岩場に存在し、満潮時や高潮の時には長年日本海の荒波に洗われる状態にあるため、磨耗、崩落が進んでいる。海禅寺25世住職の五十嵐擧一和尚は、「形あるものは、いつかは無くなります。雨風や波で風化していくのが自然なことでしょう」と語っている[1]。一体一体は小さいが、これだけの規模で磨崖仏が集中して刻まれているのは日本海側では珍しく、貴重な歴史史跡と言える。
吹浦は港町であり、古くから漁業を生業とするものが多く、遭難した漁師の供養、諸精霊の供養、海上安全の祈願が十六羅漢岩で行われるようになり、完成から150年経った現在も受け継がれている[1]。毎年7月の最終土曜日に十六羅漢まつりが開催され、海上安全祈願式典が開かれている。
Wikipediaより抜粋
ナニコレ珍百景|山形・遊佐の海岸の岩に出現した大勢の仏様「十六羅漢岩」の評判は?
分からない人のために!
十六羅漢岩とは
16の羅漢に釈迦牟尼、文殊菩薩、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の三像を合わせて22体。これだけの規模で岩礁に刻まれているのは日本海側ではここだけといわれ、歴史的にも貴重な資源です。
是非機会があれば、数えに来てみてください!
(去年撮った写真📷) pic.twitter.com/aCru23GBS0— ☪·̩͙なっちゃん💜〖とぅーす党〗☪·̩͙ (@natu08180317) August 6, 2019
十六羅漢岩と東北の日本海。 pic.twitter.com/OkPvsrvJsu
— バクマツ (@yuusya_fangram) August 12, 2019
十六羅漢岩!
まるで諸星大二郎先生の世界観。うっとりしてボケーっとしてる。#鳥海ブルーライン #十六羅漢 pic.twitter.com/JBj3DIbkBv
— スナフキン症候群 (@miyakonia_QOL) November 4, 2019
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