野呂静江の年齢、現在を紹介
今日放送の奇跡体験!アンビリバボーにてサハリンに置いて行かれた女性野呂静江が紹介されます。
一体どんな人なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「奇跡体験!アンビリバボー|サハリンに置いて行かれた女性野呂静江の年齢、現在を紹介」について紹介していきたいと思います。
野呂静江の年齢、プロフィールを紹介
現在は92歳です。
これ以上は、調べてみたところこれといった情報がありませんでした。
一般人だから当然なのでしょうか?
それともあまり有名ではないからなのでしょうか?
情報が入り次第更新していきたいと思います。
野呂静江の経歴を紹介
はじめて日本人として名乗り出た野呂さんは’23年2月、真岡で生まれた。10人きょうだいの長女で、17歳のとき漁船の機関士だった夫と結婚する。
「父は大工でしたが病弱だったので、下の9人の弟や妹の面倒を見るために、私が裕福な人と結婚したんです」
ところが、長男をもうけた直後の’44年、夫は兵役にいったまま行方不明に。戦後は’47年に建設業のロシア人の夫と再婚。「私はミンクの飼育場で働いて家計を支えました」。幼い弟妹を養うための2度めの結婚だったが、その弟妹と両親たちは、野呂さんを1人置いて日本へ引き上げていく。しかし、4人の子の母となっていた彼女は、帰国を断念するしかなかった。
その後、’97年3月、永住帰国が決まったとき、三女で洋子さんの母親である笑子さん(59)一家と帰国することを迷いなく選んだ。樺太在住者の永住帰国に際して、国から支援が受けられるのは帰国する本人と子どもの中から1人(あるいは1家族)とされているのだ。
「夫をその10年前に亡くしてから、私は洋子とずっと二人暮らしでした。ペレストロイカで大変な時期には、ダーチャ(畑)で一緒に作った野菜をバザールに並べて売ったりもした。だから、誰よりも洋子と一緒に日本へいきたかったの」
10代だった洋子さんも、祖母の提案を喜んで受け入れた。北海道の中頓別(なかとんべつ)に移住したのは、サハリン出身の町長が身元引受人になってくれたからだ。
2世となる笑子さんはサハリン時代と同じ看護師となった。「40近くなっての永住で、専門用語が日本語で覚えられず苦労したり、職場いじめもあったようです」(野呂さん)
18歳の洋子さんは温泉のフロントで働き始めたが、やはり言葉で苦労した。気持ちを伝えられず顔を赤らめていると、上司から「酒を飲んでいるのか」と叱責されたりも。そんな、ある日のこと。
「慰めに来てくれたのだと思っていたら、ばあちゃんが旭川への転居を決めてきたんです。そこの女性教師がロシア語に興味を持っているから、相互に教え合いながら日本語を訓練しろって。ばあちゃんは、さすがに行動力がありますよね(笑)」
こうして、サハリン時代と同様、洋子さんと祖母との2人暮らしが旭川で始まった。
女性自身より抜粋
野呂静江の経歴を紹介
’98年、中頓別役場の職員で、帰国当初からの世話もしてくれた長尾亨さん(47)と結婚します。
高校1年を頭に3人の男の子にも恵まれ、野呂さんのひ孫たち、第4世代となります。
うれしいのは、子育てが一段落した洋子さんが、一時帰国者たちが稚内を訪れるときの通訳を始めたことと、洋子さんが言います。
「先日は子どもが生まれて以来、初めて1泊で参加しました。今月は2泊に増える予定です。これからも誰かのためにロシア語を役立てることができたらと思います」
3世である母の通訳の仕事を、4世になる息子たちが夫と応援してくれているといいます。
70年前、サハリンに置き去りにされ、国にも見放されながら、今いる場所で懸命に生活しつつ、決して夢を諦めなかった祖母たちの強い思いは、確かに次の世代へと受け継がれています。
野呂静江の年齢、現在を紹介まとめ
中々えげつない経歴の持ち主なんですね。
これからも頑張ってほしいです。
情報が入り次第更新していきたいと思います。
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