与論島の行き方は?歴史は?に移住するには?
今日放送のナニコレ珍百景にて鹿児島の先祖代々ヤーナーを受け継ぐ与論島が紹介されます。
一体どんな店なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「ナニコレ珍百景|鹿児島の先祖代々ヤーナーを受け継ぐ与論島の行き方は?歴史は?に移住するには?」について紹介していきたいと思います。
与論島の行き方は?
与論島をテレビなどで知ったひとが、まず気になるのが与論島への行き方だと思います。
与論島へ行く方法は、ふたつ。
飛行機か、フェリーかどちらかになります。
飛行機で与論島へ行く
与論島に飛行機で来るには、みっつの経路あります。
①鹿児島空港→与論空港
所要時間:1時間20分
普通運賃片道:34800円
②奄美大島空港→与論空港
所要時間:45分
普通運賃片道:22000円
③那覇空港→与論空港
所要時間:40分普通運賃片道:17100円
つい最近までは沖永良部⇔与論便もあったのですが、今はなくなってしまいました。
その代わり、毎日奄美大島から飛行機がやってくるようになりました。
フェリーで与論島に行く
与論島には、台風などで欠航したり、天候によって抜港しない限り、毎日、フェリーが来ます。
島に行くときは、フェリーで行くほうが雰囲気を感じられるといいます。
フェリーの会社が2つあって、交互に鹿児島と那覇を往復しています。
①鹿児島から与論島
鹿児島18:00発→与論島13:40着(所要時間約20時間)
片道運賃 13890円~
②沖縄から与論島
那覇7:00発→本部9:00着/9:20発→与論島11:50着(所要時間約5時間)
片道運賃 4300円~
所要時間/普通片道運賃は2018年7月時点のものです。変動あることがありますのでご了承ください
フェリーは安いですが、時間がかかります。時間がもったいない人は飛行機をすすめます。
ですが、フェリーのメリットは車を乗せて行けることです。
与論島の歴史は?
伝承時代、女神アマミクと男神シニグクが島に瀬礁に辿り着いたところ、島が浮き上がり与論島が造られたと言う神話がある。古来より島はユルヌまたはユンヌと呼ばれていたが、琉球や大和(薩摩藩)により漢字が当てはめられ「与論」となった。
地理的にも琉球(沖縄)と近いため関係は深く、支配層代官の設置や行政区分の歴史的には奄美群島に属するが、島民の意識としては琉球(沖縄)寄りであり、大島(奄美大島)等とは差異がある。
古く1266年には琉球の英祖王統初代英祖王に朝貢したとされる。沖永良部島(当時は永良部島)と共に、14世紀には沖縄本島北部の北山王国の勢力下に入る。この時、北山王の王子、王舅(おうしゅん、オーシャン)が世之主として君臨していたと伝わる。
1416年に北山王国が滅ぼされると沖永良部島とも中山王国、次いで琉球王国の勢力下となった。
薩摩による琉球侵攻以降は、他の奄美群島と同様の歴史を辿る。薩摩代官(与論主)の着任は大島より遅れ、1616年となった。琉球が薩摩の支配に入った後も、与論の民は琉球王と有形無形の交流を続ける。更に、黒糖の総買い上げ制が始まったのは幕末に程近い1829年であった。
1898年(明治31年)夏、空前の暴風雨が島を襲い、干魃、疫病や飢饉など危機的状況に陥った。やむなく1200人程の島民が九州に集団移住する事になった。
Wikipediaより抜粋
与論島に移住するには?
与論島の行き方は?歴史は?に移住するには?まとめ
中々面白い島ですね
情報が入り次第更新していきたいと思います。
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