鉄腕DASH|航空自衛隊 目黒基地って何?いったい何があるの?歴史は?|8/18
今日放送の鉄腕DASHの「新宿DASH」のコーナーにて国分太一が昆虫嫌いの後輩、嵐の二宮和也を連れて、カブトムシを求めて航空自衛隊 目黒基地に訪れます。
なぜ航空自衛隊 目黒基地?いったい何があるの?皆さん気になりますよね?
そこで今回は「鉄腕DASH|航空自衛隊 目黒基地って何?いったい何があるの?歴史は?」について紹介していきたいと思います。
鉄腕DASH|航空自衛隊 目黒基地って何?概要を紹介
正式名称は防衛省目黒地区(ぼうえいしょうめぐろちく)で、東京都目黒区中目黒2-2-1に所在する、防衛装備庁・統合幕僚監部・陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊が共同使用している防衛省施設です。
防衛省、統・陸・海・空の調査研究・高等教育機関が集中する地区です。
陸上自衛隊においては目黒駐屯地、海上自衛隊においては目黒地区、航空自衛隊においては目黒基地と呼ばれます。
駐屯地司令は陸上自衛隊教育訓練研究本部長が、基地司令は航空自衛隊幹部学校長が兼務しています。
駐屯地業務、基地業務等は「目黒地区における駐屯地業務、基地業務等に関する訓令」により円滑に実施されるようになっています。
鉄腕DASH|航空自衛隊 目黒基地にはいったい何があるの?
特別の機関
統合幕僚監部
統合幕僚学校
所在機関(防衛装備庁)
施設等機関
艦艇装備研究所
先進技術推進センター
目黒地区
駐屯部隊・機関(目黒駐屯地)
防衛大臣直轄部隊・機関
陸上自衛隊教育訓練研究本部
警務隊
東部方面警務隊
第126地区警務隊
目黒連絡班
東部方面隊隷下部隊
東部方面通信群
第105基地システム通信大隊
第316基地通信中隊
目黒派遣隊
所在機関(目黒地区)
防衛大臣直轄機関
海上自衛隊幹部学校
所在機関(目黒基地)
防衛大臣直轄機関
航空自衛隊幹部学校
鉄腕DASH|航空自衛隊 目黒基地の歴史は?
1857年(安政4年)徳川幕府が砲薬製造所を建設。
1880年(明治13年)6月:明治政府が目黒火薬製造所を発足。
1885年(明治18年)2月: 海軍火薬製造所を建設。
1930年(昭和5年)9月:海軍技術研究所が築地から移転。以後、敷地内に大きな円形の池が2つと大型水槽が設置され、大和 (戦艦)の模型のテストも行われた。
1945年(昭和20年)11月:イギリス連邦占領軍(オーストラリア軍)が進駐(エビスキャンプ)。英連邦軍東京分区本部(Headquarters, British Commonwealth Sub Area Tokyo)を設置。
1956年(昭和31年)1月:エビスキャンプ接収解除。
1957年(昭和32年)8月1日:技術研究所目黒試験場を設置。
1958年(昭和33年)
5月3日:防衛研修所(現・防衛研究所)が霞が関から移転。
5月23日:技術研究所目黒試験場が技術研究本部第1研究所に改編。
1960年(昭和35年)6月13日:航空自衛隊第1補給処東京支処が港区から移転。
1994年(平成6年)10月1日:従前基地としてのみの扱いだったが、駐屯地及び基地として開設され、防衛庁移転計画に基づき市ヶ谷から統合幕僚学校及び陸海空幹部学校が移転。
1997年(平成9年)12月1日:航空自衛隊第1補給処東京支処が十条基地に移転。
2001年(平成13年)3月:防衛庁目黒留学生会館建設。
2006年(平成18年)7月31日:技術研究本部(現・防衛装備庁)第1研究所が艦艇装備研究所に改編。
2016年(平成28年)
8月1日:防衛研究所が防衛省市ヶ谷地区に移転。
9月1日:統合幕僚学校国際平和協力センターが防衛省市ヶ谷地区に移転。
2018年(平成30年)3月27日:陸上自衛隊研究本部と陸上自衛隊幹部学校が廃止・統合し、陸上自衛隊教育訓練研究本部として新編。
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