UTAGE|「サイレントマジョリティー」を歌う80年代アイドル松本明子・松本伊代って誰?経歴、現在を紹介何故干された?|8/22

今日放送のUTAGEにおいて80年代アイドル松本明子・松本伊代が欅坂46の「サイレントマジョリティー」の完コピに挑戦します。

でも平成の世に生きる皆さんはこの二人を知らないと思います。皆さん気になりますよね?

そこで今回は「UTAGE|「サイレントマジョリティー」を歌う80年代アイドル松本明子・松本伊代って誰?経歴、現在を紹介何故干された?」について紹介していきたいと思います。

UTAGE|「サイレントマジョリティー」を歌う80年代アイドル松本明子・松本伊代って誰?プロフィールを紹介

松本明子

本名 平井 明子

生年月日 1966年4月8日(53歳)

出身地 香川県高松市

血液型 A型

職業 タレント、女優、歌手

ジャンル アイドル歌謡曲、バラエティ番組への出演、テレビドラマ、映画、舞台

活動期間 1983年 – 1984年、1986年 – 現在

活動内容 1982年:『スター誕生!』第44回決戦大会にて合格
1983年:「♂×♀×Kiss」でアイドル歌手としてデビュー
1980年代中期 – 「ものまね」に転向
1992年-2002年:『電波少年シリーズ』

配偶者 本宮泰風(1998年 – )

著名な家族 原田龍二(義兄)

事務所 ワタナベエンターテインメント

松本伊代

別名 小園 伊代(本名)

旧姓 :松本

生誕 1965年6月21日(54歳)

出身地 東京都大田区

学歴 戸板女子短期大学卒業

ジャンル 歌謡曲

職業 歌手、タレント

活動期間 1981年 –

UTAGE|「サイレントマジョリティー」を歌う80年代アイドル松本明子・松本伊代の経歴、現在を紹介、松本明子は何故干された?

松本明子
高松市立屋島中学校卒業後の1982年3月25日にアイドル歌手を志して上京。その模様は『ズームイン!!朝!』でも紹介された。1982年、オーディション番組『スター誕生!』第44回決戦大会に合格。他の出場者に本田美奈子、徳永英明がいた(ともに失格となったが、後に別口でスカウトされた)。これを契機に渡辺プロダクション(当時)入り。また、同時期に石川秀美が優勝した芸映の主催した「HIDEKI(西城秀樹)の弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション」の全国大会にも出場している。

1983年、VAPから「♂×♀×Kiss(オス・メス・キス)」でアイドル歌手デビュー。ジャケット写真とテレビ番組出演衣装は、当時同プロダクションで売れていたアン・ルイスを手本として、大プッシュされたが、オリコン週間チャート最高位131位とヒットはしなかった。シングルを何枚かリリースしたほか、リポーターなどの芸能活動をするかたわら、スーパーでのアルバイトなどをする。

堀越高等学校を3年間無欠席で卒業(皆勤賞を受けており、「堀越高校で3年間皆勤ということは、芸能人としてそれだけ仕事がなかった」と本人もネタにしている)。

1984年、『オールナイトフジ』1周年記念および『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』10周年記念の共同スペシャル番組で放送禁止用語を叫ぶという通称四文字言葉事件を起こす(後述)。これが問題となり仕事が激減、一時期活動停止を余儀なくされる。活動停止後2年ほどして中山秀征にバラエティ班移動を勧められ、活動停止解除以後はバラエティ出演が多くなった。1989年開始の『文夫と明子のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)でMCをしつつ、バラエティー路線に転向。苦労の末、井森美幸や森口博子と同様に「バラドル」の第一人者として君臨。

『ものまね王座決定戦』では松居直美・斉藤ルミ子・しじみとさざえ(篠塚満由美・松下桂子)と共に「女四天王」と呼ばれた。

1995年、テレビドラマ『たたかうお嫁さま』で主役に抜擢され、その後もドラマに一定のペースで出演。1998年に主演したテレビドラマ『サービス』では主題歌も担当。

1995年2月、進め!電波少年の「アラファト議長とてんとう虫のサンバをダジャレたい!」という企画(アラファトとデュエットで、てんとう虫のサンバ(チェリッシュ)の替え歌で「♪アラファト わたしが 夢の国〜」と歌う企画だった。)で、当時紛争地帯であるガザ地区へ向かい、パレスチナ自治政府初代大統領を務めたヤーセル・アラファートと日本の芸能人で初めて本人に直接接触した。2004年にはアラファートが死去し、日本の要人以外ではナオト・インティライミ(2003年)と並んで当人と接触した人物であるため話題となった。

2000年5月、第一子となる長男を出産。同年、育児エッセイ『生んだら無敵』を出版。

乳幼児医療費無料制度を国に求める全国ネットワークの賛同者である。

交友関係は広いが、その中で中山秀征とは中山のナベプロ入寮時、最初に出会ったのが風呂上がりで全裸で出てきた松本だった。

2013年11月20日、歌手デビュー30周年を記念して、エイベックスより初オリジナルアルバム『くとうてん』を発売。製作費は、自身の貯金を切り崩して自費で行った。

2016年に女優の筒井真理子と漫才コンビ「つつまつ」を結成し、同年3月26日の「立川志らら 真打昇進披露興行」で漫才を初披露した。

2018年6月1日、デビュー35周年記念ライブを東京渋谷JZ Bratで開催。昼の部、夜の部共にソールドアウトとなった。デビュー35周年を記念して、同期デビューの大沢逸美、森尾由美、桑田靖子、小林千絵、徳丸純子、木元ゆうこを集めライブイベント~不作と言われた私たち「お神セブンと申します」~を11月19日、11月20日東京銀座博品館劇場で開催

wikipediaより抜粋

干された理由は放送禁止用語をしゃべりすぎたからだそうです。

松本伊代

中学3年生の時に原宿でスカウトされる。翌1981年に第5回長崎歌謡祭でグランプリを受賞。同年、TBS系『たのきん全力投球!』の田原俊彦の妹役オーディションに合格しデビュー。同年10月21日、「センチメンタル・ジャーニー」でアイドル歌手としてもデビューした。当時のキャッチコピーは「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」。翌1982年12月の『第24回日本レコード大賞』新人賞を始め、同年に多くの音楽新人賞を受賞する。キャッチコピーの通り、妹的存在として多くのファンを拡大させた。デビュー2年目の1983年には、ドラマ『私は負けない!』の主題歌『時に愛は』などもヒットし、同年末の『第25回日本レコード大賞』ゴールデン・アイドル賞を獲得した。

その後『オールナイトフジ』や『夕やけニャンニャン』の司会を務めるなど数々のバラエティ番組でも活動する。1986年からは、川村真澄・林哲司・船山基紀による「恋愛三部作」をリリース。

1993年、番組での共演がきっかけとなり、B21スペシャルのヒロミと結婚、その後2男の母となる。

2005年、1982年の同期デビューだった早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成。

2009年にはアイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美作詞・作曲・プロデュースによる19年振りの新曲「私の声を聞いて」をリリース。配信限定ではあるがシングルカットもされた。

2012年に品川ステラボールでデビュー30周年記念コンサートを開催した。

2017年2月、京都府警察右京警察署に早見優とともに「1月13日に京都市内のJR山陰本線の線路内に無断で立ち入った」として鉄道営業法違反容疑で書類送検され、3月21日に起訴猶予処分となった。京都地方検察庁は処分理由を「踏切内の通路からすぐ脇に立ち入ったに留まり、電車往来への支障も生じていないことや反省していることなどを考慮した」としている

長男はタレントの小園凌央。姉はダンスインストラクターで1990年代前半頃には「松本伊代姉」名義で歌手デビューも果たした。

wikipediaより抜粋

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Posted by yuukibaron