深イイ話|藤岡弘、の息子、娘初公開、虚弱体質の克服、母との思い出は?父親は?皆の反応は?|9/30

今日放送の人生が変わる1分間の深イイ話にて藤岡弘、の息子、娘が初公開となります。

どのような反応か、皆さん気になりますよね?

そこで今回は「深イイ話|藤岡弘、の息子、娘初公開、虚弱体質の克服、母との思い出は?皆の反応は?」について紹介していきたいと思います。

深イイ話|藤岡弘、の息子、娘初公開、虚弱体質の克服、母との思い出は?

1946年(昭和21年)2月19日、警察官で全国的にも知られた柔道家、家伝の流派の古武道である「藤岡流」を継承する武道家でもあった父と、茶道や華道、琴の師範だった母との間に生まれます。

生まれたばかりの頃は病弱で、肺炎を患った時には「もうダメだろう」と医師から告げられる中、「遺影に…」と写真が撮影された程でしたが、母の献身的な看病で一命を取り留めます。

6歳の頃から病弱を心配した父から武道の手ほどきを受け、肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服します。少年時代から滝行も経験しています。

しかし小学校に上がってからも、引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供でした。

小学校時代は、父の仕事の都合で転校が多く、よくいじめの対象にされていて、そんなある日、我慢できなくなって相手に反撃し、重傷を負わせます。

すぐさま母の知るところとなり、帰宅するなり仏壇の前に連れて行かれ、凄まじい形相で「あなたがこれ以上、人様に迷惑をおかけするんだったら、私があなたの命をいただきます。そして私もあなたの後を追います。それでよろしいですか?」と、母子心中も辞さない覚悟を示され、反省を促されました。

弁解しようとすると「ならぬものはなりません! 先祖の血を汚してはいけません、ちゃんと先祖に謝りなさい!」と、一切の反論を認められず、その迫力に、武道の怖さとともに母の本気を知り、猛省したといいます。

『SFソードキル』でのハリウッド進出の際には既に高齢だったにも関わらず自ら現地に足を運ぶなど、明治生まれの気丈さで藤岡をまさに物心両面で支え続けたそうです。

深イイ話|藤岡弘、の息子、娘初公開、藤岡弘、の父親は?

父との思い出としては、家の道場の掃除を言いつけられ、窓の桟や畳の縁など「手抜き」をして掃除をさぼると、父はそれを見抜き、その場所を指でなぞるとそれを舐め「馬鹿者! お前は自分の心を掃除しているということを忘れたのか! 掃除というのは己の心を掃除することなのだ。心を清らかに、掃除をしたところを舐めてもいいくらいの掃除をお前はしてるのか」と、よく怒鳴られたと述べています。

また「一子相伝」とされる家伝の古武道について、「人に見せるな、教えるな、商いにするな」と、特に厳しく申し渡されていたといいます。

1957年(昭和32年)、小学校6年の時に父が突如失踪し、その日から家族の暮らしは貧しさを極め、3度の食事にも事欠き、学校に給食費すら納められない状況に陥ります。

藤岡はこの頃からアルバイトで生活を支える一方、惨めな生活を誰にも相談できず、後年まで父を許すことができなかったと語っています。

深イイ話|藤岡弘、の息子、娘初公開、皆の反応は?

芸能

Posted by yuukibaron