有吉ゼミ|ロケに出演するAMEMIYAって誰?経歴、現在を紹介|10/7

今日放送の有吉ゼミにてAMEMIYAがロケに出演します。

いったいどんな人なんでしょう、皆さん気になりますよね?

そこで今回は「有吉ゼミ|ロケに出演するAMEMIYAって誰?経歴、現在を紹介」について紹介していきたいと思います。

有吉ゼミ|ロケに出演するAMEMIYAって誰?プロフィールを紹介

名前 雨宮 陽平(あめみや ようへい)

生年月日 1978年11月10日(40歳)

出身地 千葉県佐倉市

血液型 AB型

身長 175 cm

最終学歴 千葉県立幕張総合高等学校

出身 NSC東京校3期

コンビ名 ノンストップバス(1999年 – 2003年)

相方 西条みつとし(コンビ時代)

芸風 歌ネタ

事務所 ソニー・ミュージックアーティスツ

活動時期 1997年 – 2003年

2010年 –
(※芸人としての活動時期)

同期 ザブングル

現在の代表番組 人気芸能人にイタズラ! 仰天ハプニング○連発

過去の代表番組 HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP

作品
CD「冷やし中華はじめました」(SMALLER RECORDINGS)
書籍「日本の歴史はじめました」(双葉社)
CD「マジ歌はじめました〜箸にも棒にもかからなかった名曲たち〜」(SMALLER RECORDINGS)

他の活動 歌手 役者

配偶者 既婚

有吉ゼミ|ロケに出演するAMEMIYAの経歴、現在を紹介

千葉県千葉市稲毛生まれ 、同県佐倉市志津育ち。千葉県立幕張総合高等学校卒業。

1997年吉本総合芸能学院(NSC東京校/3期生)に入学。高校の同級生の西条みつとし(後のあれきさんだーおりょう)とコンビ「ノンストップ」を結成しツッコミ役を務める。NSC東京卒業後はワタナベエンターテインメントに所属。コンビ名を「ノンストップバス」と改名する。

2003年ノンストップバス解散。同年ボーカリスト「アメロック」(amerock) として転身し、同窓生と「2人バンド」を結成。2005年にはバンド名をダイナマイトオレンジに改名。同バンドを率いる歌手、エンターテイナーという形で活動する。

2009年ダイナマイトオレンジ解散。翌2010年から再びお笑い芸人としての活動を再開することを決めSMA NEET Projectに所属。ギター一本で自作の歌ネタを披露するというスタイルで活動を始める。

2011年『R-1ぐらんぷり2011』に初出場。準優勝を果たす。同年5月に放送された『イケメン歌がうまい王座決定戦スペシャル』にも初出場。優勝を果たす。

2012年『R-1ぐらんぷり2012』に出場。決勝進出を果たし、2年連続のファイナリストとなる。
尾崎豊が大好きで、始めはお笑いよりも音楽に興味を持っていた。父親に高校の入学祝いとしてアコースティックギターを買ってもらったことがきっかけで曲作りを始め、同級生の友人らとともにバンド活動も行っていた。当時はボーカルではなくサイドギターを担当していた。

高校卒業時進路に迷っていたところ、同級生であった西条みつとし(後のあれきさんだーおりょう)がNSCに行くのを知り自分もお笑いをやってみようと入学を決意。1997年、彼と共に「ノンストップ」というコンビを組み、ツッコミを担当することとなる。当時はボケとツッコミを交えたオーソドックスなコントを主体とする芸風で、ネタを作っていたのは基本的に相方であった。

しかしNSC卒業後もお笑いでやっていこうという決意までは固まっておらず、ツッコミ役にも違和感を感じており、たまに出演していた銀座7丁目劇場が閉館するタイミングで吉本興業を辞める。これを機にお笑いそのものからも足を洗おうと考えたが、相方の説得もあり結局は新たな事務所を探すこととなる。

そんな折NSCの講師もやっていた放送作家の元祖爆笑王にワタナベエンターテインメントを勧められ、オーディションを受け一発合格する。晴れて「ナベプロ芸人」となり、コンビ名も「ノンストップ」から「ノンストップバス」へと改名する。
バンドをやっている間も芸人時代の仲間や先輩との交流が続いていたこともあり、2010年には再びお笑いの道へと戻る決心をする。芸の方向性は、芸人仲間の一人はいじぃの助言もありギターを用いた歌ネタと定めた。事務所はハリウッドザコシショウに誘われたこともあり[3]、年齢制限もなかったSMA NEET Projectを選ぶ。芸名はシンプルに名字の雨宮を横文字にしただけのAMEMIYAとした。

SMAのオーディションライブである「SMAトライアウトライブ(笑)」で、最初の内は今までの自分の人生を笑いにしたいと思い自虐ネタを中心にやっていたが、反応はあまり芳しくなかった。何とかバンド時代培った作曲能力と歌唱力を生かしたネタを作りたいと考えていた折、街でたまたま「冷やし中華はじめました」の貼り紙が目に留まり、これにメロディーを乗せたら面白いのではないかと閃く。こうして自身を代表する歌ネタ「冷やし中華はじめました」が誕生した。

「冷やし中華はじめました」のネタを「SMAトライアウトライブ(笑)」で披露したところ、ウケもよく順位も初めてトップを獲得した。それがきっかけで事務所より「あらびき団」のオーディション話が舞い込み、試しに受けてみたところ合格。2010年9月7日放送の『あらびき団 超拡大SP 爆笑!あらびきカーペット』に初登場し、「シンガーソングライター芸人」としてネタを披露することとなる。するとその時たまたまゲスト出演していた今田耕司に絶賛され、その後2011年1月30日『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の「山-1グランプリ」にも初登場したことで一気に注目度が高まり、Googleの急上昇検索ワードで5位となる。更にそのことが同年2月3日放送分の『ズームイン!!SUPER』で取り上げられ、翌日2月4日には『笑っていいとも!』にも初登場し俄かにとんとん拍子で事が運ぶようになった。

そして、当時過去最多の3,572名が出場した『R-1ぐらんぷり2011』でシードなしの初出場にして次々と予選を勝ち進み、同年2月11日生放送の決勝大会に進出。1回戦で木村明浩(バッファロー吾郎)に11-10、2回戦で山田與志(COWCOW、現・善し)に15-6と勝ち進み、決勝で佐久間一行と対戦し、1-6に終わったものの、準優勝を果たす快挙を成し遂げた。R-1ぐらんぷり直後に行われた日刊スポーツのユーザーアンケートでは「もっとも面白いと思った芸人」、「今年最も活躍すると思う芸人」ともにAMEMIYAがトップ得票を得ている[4]。さらにその翌年開催された『R-1ぐらんぷり2012』でも決勝に進出、2年連続のファイナリストとなった。
2018年9月29日に開催された「クリアアサヒ presents OSAKAウルフルズカーニバル ウルフルズがやって来る!ヤッサ2018 ガッチューOSAKA!」で今度はライブ前半終了後ステージに登場し、観客に「雨を吹き飛ばすウルフルズファンの皆さん、AMEMIYAも大のウルフルズファンです!今回このヤッサでは生でこの歌を披露したいと思います!」と呼びかけ、昨年VTR内で披露した「ウルフルズに捧げる歌」に続く「続・ウルフルズに捧げる歌」を披露し、会場を涙と笑いに包んだ。[13]

2018年9月15日・16日に開催された氣志團主催のロック・フェスティバル『氣志團万博2018~房総爆走爆勝宣言~』では、2日目のオープニングを飾る「OPENING CEREMONY ACT」枠として登場し、後輩芸人のダンボール松本を従え『氣志團万博に捧げる歌』を披露。氣志團万博の歴史やエピソードを歌い上げ会場を盛り上げた後、「ただいまより、<氣志團万博2018 ~房総爆音爆勝宣言~>を開催します。出演者代表 AMEMIYA」と開会を高らかに宣言した。

Wikipediaより抜粋

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Posted by yuukibaron