世界まる見え!|球聖と言われるゴルファー「ボビー・ジョーンズ」て誰?銀行強盗に関するエピソードとは?経歴、年齢、本名を紹介|11/4
今日放送の世界まる見え!テレビ特捜部にて7秒しか記憶が持たない指揮者「ボビー・ジョーンズ」が紹介されます。
一体どんな人なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「世界まる見え!テレビ特捜部|球聖と言われるゴルファー「ボビー・ジョーンズ」て誰?、本名年齢、経歴を紹介、銀行強盗に関するエピソードとは?」について紹介していきたいと思います。
世界まる見え!テレビ特捜部|球聖と言われるゴルファー「ボビー・ジョーンズ」て誰?、本名年齢、プロフィールを紹介
名前 ボビー・ジョーンズ
本名 ロバート・タイアー・ジョーンズ・ジュニア
生年月日 1902年3月17日
没年月日 1971年12月18日(69歳没)
出身地 アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ市
引退: 1930年
配偶者: メアリー・ライス・マローン (1924年 – 1971年)
子供: ロバート・タイヤー・ジョーンズ3世、 クララ・ジョーンズ、 メアリー・エレン・ジョーンズ
世界まる見え!テレビ特捜部|球聖と言われるゴルファー「ボビー・ジョーンズ」の経歴を紹介
1921年6月、19歳で全英オープン(セント・アンドルーズ、予選(クオリフィケーション):エデンコース、本選:オールドコース)に初挑戦して、強風の本選第3ラウンド(6月24日)に最初の9ホールだけで10オーバーの46を叩き、10番ホールもダブルボギー、11番ホール(パー3)もティーショットをバンカーに入れ、脱出に3打で4オン、ダブルボギーパットも外して茫然自失、6打目のパットを打たずに棄権した。これをジョーンズは終生、痛恨の記憶とした。1925年の第29回全米オープン(ウォーセスターカントリークラブ)では、ウィリー・マクファーレンとのプレイオフにて、1度目の18ホールのプレイオフでは決着がつかず、2度目のプレイオフの最終18番ホールでボギー対パーの1打差で敗れた。
アマチュアでありながら実力はプロを上回るほどで1930年、28歳のときに当時の世界4大タイトルを全英アマ(セント・アンドルーズ開催、マッチプレイ形式で18ホールの7試合を行った後、36ホールの決勝戦を実施)、全英オープン(ロイヤルリバプール)、全米オープン(インターラッセンカントリークラブ)及び全米アマ(メリオンゴルフクラブ)の順に優勝し、年間グランドスラムを達成した。スポーツ界において「グランドスラム」という言葉が用いられたのはこれが最初とされる。同年、全米アマチュア最高の賞である第1回ジェームスサリバン賞を受賞し、年間グランドスラム達成の7週間後、28歳で競技生活から引退した。
1923年に有名な「カラミティ・ジェーン」という名のL字型パターを手に入れ、初のメジャータイトルである全米オープン(インウッドカントリークラブ)を制した。
引退後もゴルフにかかわり、弁護士業務の傍らにマスターズ・トーナメントの創設やそのマスターズが開催されるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのコース設計にも携わった。ジョーンズの設計思想は、バンカーは30個足らずと少なくし、フェアウェイも普通のコースの倍近く広く、ラフも浅く、ロングホールは巧打を2回続ければグリーンに乗るように設計するというものであった。
競技ゴルフの使用クラブ数の決定にも関与したりもた。
また、競技ゴルフを止めて6年ほど経ち、セント・アンドルーズでプライベートに友人とプレーをしている時に、それを聞きつけた近所の住民 2,000人ほどが彼を一目見ようとコースに集まってきたというエピソードがある。1958年10月9日のスピーチでは、「セント・アンドルーズのコースを学べば学ぶほど、このコースをより深く愛するようになった。そして愛すれば愛するほど、より多くのことを学んだ。セント・アンドルーズでの経験さえあれば、たとえ生涯で得た他の全てのものを失っても、私の人生は本当に満たされている」と語っている[2]。
1948年に脊髄空洞症の診断を受け、車椅子の利用を余儀なくされていたが、1971年没。ボビーの没後、1974年に世界ゴルフ殿堂が設立された。ボビーは最初に殿堂入りした名選手のひとりに数えられる。
Wikipediaより抜粋
世界まる見え!テレビ特捜部|球聖と言われるゴルファー「ボビー・ジョーンズ」の銀行強盗に関するエピソードとは?
1925年に行われた全米オープンの第1ラウンドでのこと、
あるパー4でティーショットをラフに打ち込んだジョーンズは、
そこからグリーンに乗せて2パットでホールアウトします。
そこにいた誰もがそのホールのスコアはパーの4だと思ったところ、
「アドレスしたとき、ほんの少しボールが動いてしまったので、私のスコアは5です」
とラウンド後に自己申告しました。
この1打がなければ290ストロークで優勝でしたが、
勝負の行方は同じ291で上がったウィリー・マクファーレンとのプレイオフに持ち込まれ、
ジョーンズは1打及ばず優勝を逃したのです。
後に多くの人々からそのフェアプレイ精神を称えられましたがジョーンズは
「当たり前のことをしたからといって、なぜそんなに騒ぐんです?あなたは銀行強盗をしなかったからといって、人を褒めたりしないでしょう?」
と涼しい顔をしていたといいます。
銀行強盗を例えに出したことから、過去は銀行強盗だった!?などと言われ、
プロとして表舞台に立てない理由か?などと推測がありましたが、
冗談だと思います。
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