炎の体育会TV|ホームラン王マスクマンの名前、経歴を紹介|1/4
今日放送の炎の体育会TVにてホームラン王2回のマスクマンが出演します。
一体どんな人なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「炎の体育会TV|ホームラン王2回マスクマンの名前、年齢、経歴、現在を紹介」について紹介して行きたいと思います。
炎の体育会TV|ホームラン王マスクマンの名前を紹介
今回のマスクマンについて、動画や告知の内容から事前にわかる情報は下記のとおりです。
ホームラン総数1151本
伝説のプレミアスラッガーが一夜限りの大集結
※伝説ということと、シーズン真っただ中に行われていることから、現役選手・現役監督・現役コーチではないと予想できます。
ホームラン王
首位打者
WBC連覇(2006年、2009年の代表に選出)
オールスターファン投票1位&背番号36番&右打者
このことからホームラン王2回マスクマンは山崎武司さんだと思われます!
通算本塁打数403本のスラッガーで、ホームラン王1回獲得し、マスクマン項目をクリアしております。
炎の体育会TV|ホームラン王マスクマンの年齢、プロフィールを紹介
ホームラン王2回マスクマンの山崎武司さんのプロフィールです。
出身地 愛知県知多市
生年月日 1968年11月7日(51歳)
身長 182 cm
体重 100 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手、左翼手、捕手、指名打者
プロ入り 1986年 ドラフト2位
初出場 1989年9月7日
最終出場 2013年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
愛知工業大学名電高等学校
中日ドラゴンズ (1987 – 2002)
オリックス・ブルーウェーブ (2003 – 2004)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2005 – 2011)
中日ドラゴンズ (2012 – 2013、2014)
炎の体育会TV|ホームラン王マスクマンの経歴を紹介
愛知県知多市で誕生。小学校の4年の時に外野手として野球を始め、主に左翼手を守る。中学校の入学と同時に捕手になる。小学校と中学校では最高学年で主将を務める。中学校時代は無名の存在だったが、兄が愛知工業大学名電高等学校へ教育実習生として出入りしており、その口利きでテストを受けさせてもらい、同校に合格した。1年の秋から4番・捕手に定着。2年の時の夏は愛知大会の決勝戦で東邦高等学校に敗れた。2年の時の秋から3年の時の夏までは主将を務める。3年間で全国大会に出場した経験はなかったものの、通算56本塁打を放つ。
1986年のドラフト会議で中日ドラゴンズが2位指名で交渉権を獲得し、契約金4000万円、年俸400万円(金額は推定)で入団[5]。背番号は「22」。
1987年にプロ1年目の沖縄キャンプで落合博満と相部屋になった[6]。その後アメリカ合衆国へ野球留学。MLBロサンゼルス・ドジャース傘下のルーキーリーグ球団であるガルフ・コーストリーグ・ドジャースで三塁手としてプレーした。帰国後には捕手に戻る。この年は一軍出場がなかった。
1989年9月7日の対広島東洋カープ戦では9回表に代打として一軍で初出場。9月10日の対ヤクルトスワローズ戦では9回裏、内藤尚行から初安打となる左前安打を放つ。
2002年にレギュラーシーズン終了後、自ら球団にトレードを直訴し平井正史との交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。移籍後の背番号は「5」。
2003年8月19日のダイエー戦で2回表に倉野信次から史上77人目となる通算200号本塁打を放った。110試合に出場したものの規定打席には到達せず低打率に苦しんだが、チームの日本人選手の中では最多の22本塁打を放った。
2011年12月8日、中日への移籍が決定。10年ぶりの古巣復帰を果たし[36]、背番号は楽天時代と同じ「7」に決まった。また、楽天から中日へ移籍した初の選手となった。年俸3000万円、出来高は最大1億円という契約となった。
2013年7月27日に出場登録を抹消されたことを受けて、現役引退を決め、同月29日に正式に今季限りでの引退を表明した[37]。10月1日の対阪神戦では3番・二塁手として先発出場したが、1回表の打席のみの出場で1回裏の守備から森野将彦に交代したため、二塁手を守ることはなかった。山﨑をここ一番という場面で試合に使っていた監督の高木もこのシーズンを持って退団した。
Wikipediaより抜粋
炎の体育会TV|ホームラン王マスクマンの現在を紹介
現役引退後
2014年からは、フジテレビ・ニッポン放送・東海テレビ・東海ラジオ・テレビ愛知の野球解説者、FOX SPORTS『BASEBALL CENTER』のアナリスト、夕刊フジの野球評論家を務めています。
2017年7月27日、楽天OBによる試合「滝風イオンメディック presents 楽天イーグルスレジェンドマッチ」にレジェンドイーグルスのメンバーとして参加し、4番打者として出場します。
4回に対戦相手のTFUクラブの木村謙吾から左中間への適時二塁打を放ち、この試合のMVP賞を獲得しました。
モータースポーツ活動
現役時代から自動車レースにも興味を持っていたことから、アマチュアドライバーとしてProject μとINGINGのサポートを受けてトヨタ主催の「GAZOO Racing 86/BRZ Race」に参戦する方針を2014年初めに明らかにしました。
参戦に向けてモータースポーツライセンスを新たに取得する必要があることや、プロ野球シーズン中は解説者としての活動を優先することから、同年のシリーズにはスポット扱いで参戦するとしました。
その後7月26日、富士スピードウェイにて行われた第6戦にて、トヨタ・86でレースデビューします。
かつての背番号にちなんだ7番のゼッケンを背負い、決勝Bレースを30位で完走しました。
その後も同レースのクラブマンシリーズ(アマチュアクラス)へ参戦を続け、2018年開幕戦では3位表彰台を獲得しています。
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