ザ!鉄腕!DASH!!|伝説の海堡「第三海堡」て何?歴史は?現在は?|11/17
今日放送のザ!鉄腕!DASH!!にて伝説の海堡「第三海堡」が紹介されます。
一体何なんでしょう、皆さん気になりますよね?
そこで今回は「ザ!鉄腕!DASH!!|伝説の海堡「第三海堡」て何?歴史は?現在は?」について紹介していきたいと思います。
ザ!鉄腕!DASH!!|伝説の海堡「第三海堡」て何?概要を紹介
日本は明治から大正にかけて、山縣有朋陸軍大将が大日本帝国の要塞化を主張。東京湾には千葉県の富津岬沖から、神奈川県の観音崎沖側にかけて首都防衛のために3か所の人工島が造成された。完成後は兵舎や砲台が建設され、自然島である猿島とあわせて東京湾口に円弧状に存在する防衛ラインの一環として運用された[1]。
第二海堡と第三海堡は1923年9月1日の関東大震災により被災し、その年の内に廃止・除籍された。第一海堡はその後も使用され、東京湾要塞の一部として第二次世界大戦の終了時まで運用された。
なおこれらの東京湾に作られた海堡は、現在は洋上要塞として機能していない上に、東京湾周辺の海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていることから、ヨット愛好家でもある石原慎太郎をはじめ、船舶運航関係者が特に現在も残る第二海堡の撤去を主張している。一方で、建設当初に堅牢に設計されたために、撤去が困難である部位を残している。
第三海堡跡は浦賀水道航路に隣接し、海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていた。航路として安全な水深を確保するため2000年12月から撤去工事が進められ、2007年8月に完了した。
Wikipediaより抜粋
ザ!鉄腕!DASH!!|伝説の海堡「第三海堡」の歴史は?
1892年8月起工、1921年完成。横須賀市観音崎沖に建設され、
面積は約34,000m2です。三つの海堡の中で最も深い、
水深約39メートルの位置に造成されたため難工事となり、
完成までに30年を要しています。
しかし完成から2年後の関東大震災により崩壊して4.8メートルも沈下し、
全体の三分の一が水没し、復旧は困難と判断されて廃止・除籍されました。
第三海堡跡は浦賀水道航路に隣接し、
海上交通の輻輳から海難事故の原因と指摘されていました。
航路として安全な水深を確保するため2000年12月から撤去工事が進められ、
2007年8月に完了しました。
吊り上げられた構造物は第三海堡跡南西2,000m の海域に投棄され、
魚礁などに再利用されているほか、一部は陸揚げして綿密に調査され、
当時の土木工事の水準を超えた人工島造成技術が分析されています。
ザ!鉄腕!DASH!!|伝説の海堡「第三海堡」の現在は?
兵舎や弾薬庫など陸揚げされた構造物は、
横須賀市浦郷町にある国土交通省関東地方整備局追浜展示施設で
公開されています。
また、大型兵舎はうみかぜ公園に展示されています。
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